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2026年9月4日建築・建材展大阪2026 基調講演+特別対談(基調講演)米澤 隆氏(米澤隆建築設計事務所 代表/大同大学准教授)
(特別対談)倉方 俊輔氏(大阪公立大学 教授)
米澤 隆氏
【基調講演】「建材は旅をする―万博建築の移設と伊勢神宮の御用材から考える、建材の移設・転用・組換え―」 米澤 隆氏若手建築家の一人として取り組んだ「2億円トイレ」
私は名古屋を拠点に設計事務所を主宰するとともに、大学で研究や教育に携わっています。2025年の大阪・関西万博では「トイレ5」(通称「2億円トイレ」)を設計したのですが、本施設を一つの基軸にしながら、建材がいかに転用されていくかというお話をいたします。 大阪・関西万博では会場内のトイレや休憩所など計20施設に対して、若手建築家を20組選定し、私もその1組として選ばれました。「トイレ5」は大屋根リングの北側に隣接した大型のトイレ施設。 私がここで考えたのは、一つが万博終了後に移設転用できる新たな仕組みへの挑戦です。一般的に建築は一度つくると、動かしたり形を変えたりしづらいものです。子どもが積み木で遊ぶように、自由に組み替えできる建築をつくれたら、終了後も移設することができます。 もう一つの考え方が、1970年の大阪万博の際に開花し、終焉した「メタボリズム」という建築思想を、55年の時を経てアップデートしてリバイバルさせられないか、というもの。メタボリズムは、それまでの建築のように、同じ材料、同じつくり方で同じものをつくって壊すスタイルではなく、生命体のように新陳代謝して機能を更新していくあり方がよいのではないか、という考えを打ち出した思想です。 「トイレ5」は、そのような考えのもと、気軽にブロックを積み重ねて構成した建築です。それぞれ1段目にトイレ機能を、2段目に採光や換気機能、3段目に遮熱や雨よけ機能と、色や形だけでなく機能も異なるものを積み重ねています。ビジュアルも、カラフルでポップで可愛らしくなっており、分散して配置しているので光や風が入って来て、人々がその間を行き来します。まるで積み木のような楽しげでわくわくするトイレなので、特に子どもたちに人気が出ました(図1、2)。 万博終了後はブロックごとに分解し、外装・内装材もそのままでトラックに載せて運搬することができます。
図1 積み木を組んだような形の「トイレ5」
図2 移設先に合わせて組み替え可能なユニット式 マスメディアによる万博批判、SNSは炎上
本施設は移設転用を前提に設計したものの、その仕組みを備えてはいても、そう簡単に移設できるわけではありません。そこで私はSNSや会場での言葉の発信、多くの人との触れ合いを通して、移設転用の周知に腐心しました。会期前、大阪・関西万博の是非をめぐって、さまざまな議論が交わされましたが、その一つに「トイレ5」が取り上げられ、「2億円トイレ」と呼ばれてメディアを中心に、工事費用の高さが取り沙汰されました。 「税金が消えていく」「デザイナーズトイレ」とやり玉に上げられ、SNSは大炎上。会場全体の工事費や350億円の大屋根リングも含め、厳しい目にさらされました。吉村洋文知事が「平米単価では一般の公共トイレの平均よりも低い」とSNSや記者会見で説明されましたが、批判はやまず、私自身もSNSを通して「移設転用可能性をメインコンセプトにして設計している」と説明するに至った次第です。その流れで各種メディアに取材を受ける形で説明し、誤解を解き、理解してもらう、といったことを繰り返しました。
真摯なコミュニケーションで正しい理解を導く
万博が始まると、実際利用した方々から「可愛くポップで祝祭性があって、万博らしくていいんじゃないか」と好意的な意見がSNS上で広まり始めました。「話題の2億円トイレ」として批判も含めて注目されたこともあり、噂の2億円トイレが一体どんなものか見てやろう、という方も多く見え、批判の反動のような形でポジティブな感想がどんどん広がっていきました。 そんな折、パビリオンに設置されているスタンプを集めている方々から「この2億円トイレもパビリオンのようなものだから、スタンプを設置してほしい」というご意見がSNSを通して多数寄せられたため、それに応える形でスタンプを制作しました。しかしあまりに予想以上の人が現場に押し寄せ、ちょっとした騒動に。すぐに万博協会の屈強なスタッフ数人によって私は会場外につまみ出され、「すぐ中止すると言ってくれ」とお𠮟りを受けて泣く泣くSNSで中止を告知しました。 一方で「これだけ多くの人が来るのならトイレのファンクラブを設立してください」との声で、おそらく前代未聞かもしれないトイレのファンクラブ設立に至り、さらにはトイレのマスコットキャラクターまでつくられることに(図3)。また、博覧会協会とも交渉しましたが、会場内でお会いした方に個人的にスタンプを押させていただくというスタイルとなり、SNSでじわじわと話題が伝播していったのです。
図3 「トイレ5」のマスコットキャラクターは大人気 こうして私は会場内で多くの人とコミュニケーションをとりました。最終日は約500人もの人と握手などでコミュニケーションしました。これもSNSを通して「政治家の握手みたいだ」と話題になりました。今思えば、実際に政治家の握手に近いことをやっていたなと。皆さんの応援のおかげで状況が変化したので、握手で応えることで感謝を伝えたいという思いもあったからです。 この建築はつくって終わりではなく移設転用することまでプロジェクトに掲げており、「よってお金の無駄ではない」という反論も行ったので、移設を成功させる必要がありました。話題づくりに努め、それが応援ムードの高まりにつながったことが功を奏して、最終的に2カ所への移設が決まりました。一つが河内長野市の「大阪府立花の文化園」、もう一つが福岡県の(株)ワイドレジャーによる九州の公園への移設です。
80年間にわたって使われ続ける伊勢神宮の御用材
移設転用で思い浮かぶのが、伊勢神宮で20年に一度行われる式年遷宮です。解体された古い建物の建材は「御用材」と呼ばれて地域に分散し、利活用されます。私が今関わっている愛知県の離島、篠島(しのじま)は、伊勢神宮ゆかりの地であり、「御用材」が移設されます。20年後に、伊勢神宮内宮の東宝殿か西宝殿が篠島神明神社として移築・再建され、さらに20年後には八王子社として移築・再建され、さらに20年後、島内に散在する小さな祠に使われていきます。このように、同じ建材が伊勢神宮から篠島にわたり、意味を変え、場所を変えて80年近く使われていく。これが「トイレ5」のプロジェクトに至るルーツであり原点といえます(図4)。
図4 篠島では伊勢神宮の御用材が受け継がれる 日本の建築は、いろいろな場所、時代で移設転用が繰り返されています。古くは、藤原京から平城京への遷都の際や、大阪城から滋賀県の宝厳寺唐門への転用のような、城郭建築から社寺への転用例。この移設や転用の文化をベースとして建築理論として打ち立てたのが、先述のメタボリズムです。2022年に解体された銀座の「中銀カプセルタワービル」は象徴的な建物で、個々のユニットが各所に移設され、用途を変えて生き残っています。 先の大阪万博では、例えばオーストラリア館が三重県四日市市に移設されました。移設の実現までには至らなかったものの、黒川紀章さんの「タカラ・ビューティリオン」(カプセルユニットを結合させた建築)を中心に、メタボリズムの名のもとに建築を新陳代謝させる仕組みが掲げられていました。時を経て2005年の愛知万博では3Rが掲げられ、終了後にそこで使われたモジュールや部材が各地で利活用されました。 2025年大阪・関西万博で私は、建築のモジュールや部材としてだけではなく、形を変えてユニットを転用することで、建築が持つ物語や意味も継承できないかと考えました。若手作品群の転用例を紹介します。「ポップアップステージ東外」が滋賀県の道の駅へ移設(図5)。大阪城に使われなかった「残念石」を運んできて話題になった「トイレ2」では、終了後に石を元の場所に戻します。これは建材が時代や場所を超えて旅をし、それらが持つ物語が次の建築に継承されながら少しずつ意味を変えて伝わっていく事例でしょう(図6)。瀬戸内海の島にあった石を持ってきた「休憩所2」も建材が物語を背負って意味を変えながら転用されている例です。使い道のない“困った木”を集めた「サテライトスタジオ東」や、デッドストックとして保管されていたテキスタイルを活用した「休憩所1」なども同様の例です。
図5 滋賀県内の道の駅に移設される「ポップアップステージ東外」
図6 残念石で話題になった「トイレ2」 このように、移設転用の歴史を振り返ると、太古の昔の伊勢神宮までさかのぼるわけですが、その時代から、建材を移設転用して違うものにつくり変えていく営みは脈々となされています。建築の最先端の見本市ともいえる万博でも、2億円トイレを含めそれぞれの建築にその思想が継承され、建材が意味を変えていく――そんなことを実感できる万博だったと思っています。
【特別対談】倉方 俊輔氏 × 米澤 隆氏
倉方 俊輔氏
米澤 隆氏 万博はコミュニケーションの場であり続ける
倉方:米澤さんのお話を聞いて、昨年の大阪・関西万博はやはり楽しかったのだと、改めて思いました。建築界では開催前から逆風が吹き、開幕後にもさまざまな出来事がありましたが、その展開も含めて万博らしかった。 万国博覧会は、もともと見本市としての性格が強く、時代とともに娯楽的要素を増してきました。一方、当初から変わらないのは、人と人、モノと社会を結ぶ場であることです。「2億円トイレ」が最終的に多くの支持を得たのも、米澤さんが説明と対話を重ねた結果でしょう。 対話は、結末の見えない冒険に似ています。批判が好意に転じたかと思えば、再び反発が起こる。そこからスタンプが生まれ、ファンクラブまで設立される……。予想を超えて事態が動いていくところに、万博ならではの醍醐味がありました。 批判の渦中にあったとき、米澤さんは、どのような姿勢で臨もうと考えていたのでしょうか。 米澤:SNSで発信すべきかどうか大いに悩みましたが、批判がピークに達した頃、このままではプロジェクトが成立しないかもしれないという危惧を感じ、これはきちんと説明しなければと思いました。SNSの投稿内容は全て所員に見せて相談。誰かを否定や批判することなく、正しい情報を伝えて理解を促すことが重要だと考えて発信を続けました。このような姿勢も含めて、結果的に支援者の輪が広がっていったと感じています。 倉方:炎上したときの振る舞いは難しいものです。米澤さんの対応は極めて正攻法ですが、少し前までは「無視するのが最善」という風潮もありました。しかし、実際に言葉を届けてみると、相手は必ずしも攻撃的ではなく、説明を受け入れてくれる場合もある。発信を続けることが、十分に有効な選択肢になり得ると示した事例だと思います。
「トイレ5」は常識にとらわれない建築家らしい作品
倉方:万博はコミュニケーションの場だと申し上げましたが、私はそれが万博の面白さであり、建築や建材の面白さにもつながっていくと感じます。今回、移設転用を意図した設計であることが一般に伝わっていない状況を好転させ、河内長野市と九州への移設決定に成功したわけですが、改めて、自ら設計した「トイレ5」がなぜ大勢の人々に支持されたと思われますか? 米澤:一つひとつのスケールを小さくすることができ、しかもカラフルでさまざまな形があり愛着が持ちやすかったからではないかと。場所が分かりやすかったのも幸いしました。 倉方:なるほど。人の身体になじむ大きさと、親しみやすい色や形ですね。私は、外側に手洗いの蛇口を設けた点も、とてもよかったと思います。工業製品のような即物性があり、どこかあっけらかんとしている。あの手洗いも、炎上時には批判されましたよね。しかし、人が手を洗う姿が外から見えることで、普段は意識されにくい公共的な振る舞いが見えるようになりました。 とりわけ印象に残っているのは、小さな子どもが懸命に手を洗い、それを親が見守ったり、写真に収めたりしていた光景です。コスト上の制約もあったのでしょうが、それを単なる不足として処理せず、既成概念にとらわれない空間へ転じたところに、建築家らしい発想が表れています(図7)。 米澤:コストの関係ももちろんありましたが、そこでただスペックを下げるのではなく、お金がないからこそ逆転の発想で「こうすれば新しい価値が生まれるのでは?」と考え、割り切って設計しました。
図7 外に蛇口を付けたスタイルも話題を呼んだ 倉方:「トイレ5」の移設でも、積み木のように組み替えられる特徴を生かしていくのでしょうか。 米澤:万博のレガシーとして移設されていくので、そのつもりです。ただ単体で設計すると少し浮いてしまうので、例えば花の文化園なら、現地での見え方や周辺との関係などを考慮に入れて、ランドスケープも合わせて設計させていただきます。 倉方:米澤さんは、建物にとどまらず、ランドスケープも数多く手がけていますね。 米澤:はい、高速道路のサービスエリアや駅前広場などを設計していますが、いずれも建築単体ではなくランドスケープと一体になったものです。また、トイレ移設の話から展開して、河内長野市内に新たにつくられる公園のにぎわい施設の設計を担当することになったのですが、これも建築だけではなく、遊具、ステージ、地形の起伏などを含めたランドスケープと一体で調和する設計に努めています。最近は特にこのような、“建築を閉じる”のではなく、社会や公共の多様な場所に開いていき、いろいろな人が気軽にアクセスできるような建築のあり方を考えて取り組んでいます。
建材一つひとつを主役として輝かせる
倉方:内と外を明確に分けるのではなく、周囲を含めて一つの場をつくる。そうした考え方が社会に浸透しつつあり、米澤さんも設計を通して実践されています。 同じことは、素材の来歴や意味にも当てはまるのではないでしょうか。先ほどの伊勢神宮の御用材も、万博で使われた部材の再利用も、背後にある物語が社会へ開かれ、共有されていく例です。 手間をかけて加工した材を、簡単に廃棄するのは惜しい。そうした感覚は、古くから世界各地にあったはずです。さらに、「伊勢神宮で使われた」「大阪・関西万博で使われた」という記憶が加わることで、素材は単なる物質ではなく、時間を伝える媒体になる。そこに大きな可能性があると思うのですが、いかがでしょうか。 米澤:「トイレ5」は、内壁、床、便座、手洗い、取っ手など、多くの建材メーカーさんに協賛いただいていており、それぞれのメーカーさんが製品に込めた思いや、「この製品をこんなふうに使ってみたいがどうだろうか?」といった実験的意向もありました。外の手洗い場をはじめ、話題になったことで提供してくれた方々にとっても製品が一つのシンボルになったのではないでしょうか。建築が主役、建材が脇役なのではなく、建材一つひとつを主役としてキャラクター立ちさせることができれば、といったことも考えながら設計していました(図8)。 倉方:一つひとつの部材が、協働の証しになっているのですね。建築全体の中に埋没するのではなく、提供した企業の技術や思いまで見えてくる。つくる側にも、受け取る側にも意味のある関係が生まれています。
図8 「トイレ5」内部の様子。さまざまな部材がメーカーから提供された 建築や建材は歴史・文化を継承する力を持っている
米澤:建材の持つ意味に着目した設計活動は、今後も行っていきたいと考えています。私はもともと京都出身ですが、京都は現代的な建築と、平安や室町時代から残っている建築が共存して、多様な状況が形成されています。建築の多様な状況をつくっていくためには、一つひとつの建材に関心を持つことが重要です。「これは100年前の材だが、これは最近のものなんだな」といった歴史や物語への想像力を膨らませることによって、地域の持つ魅力に気付くことができます。篠島に行くたび、1,200年前からゆかりのある伊勢に思いを馳せるので、やはり想像力は建築や地域への理解を深めることにつながっていくのだと感じさせられます。万博も同じで、数十年経てば未来の皆さんに想像される歴史の一つとなるでしょう。こうして見ると建築や建材は、文化や歴史を継承する力を持っていると感じます。 倉方:大阪・関西万博が過去の万博と異なる点の一つは、「建材がどこから来て、次にどこへ行くのか」が、会場全体に通底する主題として示されていたことです。そこには環境対応だけでなく、生産や流通、再利用に関する多くの情報が含まれています。素材の背景を知ることが、リサイクルの仕組みや、それを支える技術を学ぶ入口にもなる。モノを介して自分の知らなかった世界とつながれるのは、建材ならではの力でしょう。 「トイレ5」は、米澤さんが丁寧に言葉を尽くし、多くの人との関係を築く中で育っていったプロジェクトだったのだと思います。万博が終わった今、少し距離を置いて振り返ることで、その全体像がようやく見えてきました。 米澤: 万博自体は半年で終わりましたが、一過性のイベントではなく、そこで生まれたモノや知見がどんどん社会に展開されていきます。「トイレ5」のプロジェクトは継続中で、まさに今河内長野市で設計を進めており、九州でもこれから取り組んでまいります。「建材は旅をする」を本講演のテーマとしましたが、プロジェクトを通して、旅する建材の長い歴史の一時代を自分が生きているのだと、自身で実感しています。多くのメーカーさんが一生懸命製造したいろいろな建材が万博会場に集まってきて、また他地域に流れていくさまは、歴史文化の中を旅しながら形や場所を変えて時代を紡ぐ建材のあり方を体現しているように思えました。今回私が取り組んだことが、続く次の歴史によりよい流れをもたらせるよう、今後も活動していきたいと思っています。

