2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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けんざい231号掲載


参拝の人々を出迎える応天門(神門)

平安神宮

 平安神宮といえば、文字どおり平安京=京都を代表する神社の一つ。朱塗りの楼門(神門)と豪快な大鳥居の姿は、雑誌やテレビでもおなじみです。実は、この神宮が創建されたのは明治時代。誕生の背景には、天皇遷都後の「みやこ」を近代都市・京都として再建しようとする、当時の人々の英断がありました。困難の中で新たな時代を切り開いた人々の思いを知りたくて、京都・岡崎を訪ねました。
 「けんざい」編集部  木絢子



■平安京朝堂院を再現した鮮やかな建物
 京都市左京区の岡崎公園一帯は、美術館や図書館、京都会館などが連なる文化エリアです。平安神宮は、その北側に、厳かなたたずまいで鎮座しています。
 三条通りから、神宮道を北に向かうと、まず見えてくるのが、道路をまたぐ大鳥居。その向こうに、2階建ての楼門が姿を現します。これが、応天門と呼ばれる平安神宮の神門。朱塗の外観に緑釉の屋根瓦は、冬の空にひときわ鮮やかです。
 神門をくぐると、白砂利が敷き詰められた広大な境内が広がります。正面には長大な大極殿(外拝殿)の姿、左右には蒼龍楼・白虎楼と呼ばれる華麗な楼閣。朱塗りの回廊が、それらの建物を結んでいます。
 「建物のモデルは、平安京の内裏の正庁・朝堂院。実際の8分の5の規模で再現されています」と教えてくださったのが、平安神宮の南坊城卓英権禰宜(ごんねぎ)。回廊の灯篭には四神が刻まれ、東西2つの手水鉢も、蒼龍(東)と白虎(西)を象っています。
 大極殿の奥は、内拝殿を経て本殿に至ります。ご祭神は、平安京を開いた桓武天皇と、有終の孝明天皇です。「長い平安京の歴史、日本人の心の伝統が、このお二方に象徴されています」と南坊城権禰宜。拝殿に立ち、二礼二拍手一礼の拝礼を済ませると、不思議にすがすがしい気持ちになりました。

■内国勧業博覧会のシンボル的建物として
 平安神宮の創建は、1895(明治28)年。その誕生には、京都の人々の熱い思いがあったといいます。
 「明治初期の京都は、蛤御門の変による大火に加え、明治天皇も東遷。人口は半減し、経済面でも文化面でも危機的な状態でした。その中で、当時の京都人は苦境を嘆かず、時代に挑むことを選んだのです」。
 こうして京都は、近代都市への脱皮を開始。明治の学制発布よりも早い小学校の設置、琵琶湖疎水の開削、それによる電気・水道・水運の整備事業などの事業が興されます。その締めくくりとして開催されたのが、1895(明治28)年の第4回内国勧業博覧会でした。「平安神宮は、その中心施設として建設されたのです」。
 平安遷都千百年紀念祭の年に開催された同博覧会は、今の岡崎公園一帯に工業館、農林館、器械館、美術館、動物館などを建設し、17万点近い品々を展示。110万人もの入場者が押し寄せました。復興を果たした市民にも、この盛況は感慨深かったことでしょう。
 中でも平安神宮の鮮やかで精巧な建物は、博覧会を象徴する存在となります。監督長木子清敬、技師伊東忠太らによる、綿密な復元考証。全国からの寄付をもとに集められた、最上級の用材・部材。千年以上も栄え続けた京都の伝統を後世に伝えることを目指して、設計・材料・施工のすべてに精魂が込められたのです。
 博覧会終了後も、平安神宮は京都市民にとって特別な存在であり続けます。1894(明治27)年からは、名人と呼ばれた小川治兵衛(植治)の手で神苑の整備が始まり、昭和天皇の京都御大典では、大鳥居が完成。1940(昭和15)年には、孝明天皇も祭神となります。その広大で静かなたたずまいは、まさに京都の総鎮守そのものです。



朱塗りの大鳥居は昭和初期の建築

境内東にそびえる蒼龍楼

境内西の白虎楼

黄金の鴟尾(しび)をいただく「大極殿」(外拝殿)

神苑内の泰平閣(橋殿)

三条・五条大橋の橋脚を使った神苑の臥龍橋

■“神は人の敬によって威を増す”
 平安京の再現として築かれた平安神宮は、京都の伝統と現在の結び目というべき存在です。その役割は、神社という枠にとどまりません。
 たとえば、京都三大祭の一つ、時代祭です。毎年秋に、平安講社(平安神宮の氏子組織)が運営するこの祭は、明治維新から平安遷都までの歩みを歴史行列でたどる「見る平安京史」。が、それだけではありません。
 「有職故実にのっとった時代祭の装束は、毎年少しずつ補修・新調が行なわれます。それが、西陣などの伝統技能を受け継ぐよい機会にもなっているのです」。
 実は、こうした仕組みは、京都の他の分野でも、今だに生きているとか。神社などに多い桧皮葺の葺き替えもその一つと、南坊城権禰宜は言います。「どんなにすぐれた伝統も、継承されない時期が長く続くと消滅してしまいます」。その危うさを知っているから、京都の人々はこうした仕組みを作り上げたのでしょう。
 「しかも、その仕組みには新しい伝統・技術を柔軟に受け入れる余裕があります。京都が古くて新しい街と呼ばれるのも、そうした背景があるからでしょうね」。なるほど、桓武天皇の平安京も、明治の復興も、そして平安神宮も、そんな伝統から生まれたのですね。 誕生以来、数々の歴史を刻んできた平安神宮は、今年創建116年。昨年末には、主要な建物について、重要文化財の指定がありました。これは明治以後の神社建築としては2件目。創建当初の人々の熱意と技術、代々の京都人による維持・補修の努力が、この結果になったのでしょう、と南坊城権禰宜は語ります。
 「重文指定が出されたということは、国としてこの神社を将来に伝えますよ、というメッセージ。ありがたいことであると同時に、責任の重さを感じます」。
 新年に込める思いをうかがうと、こんな言葉が帰ってきました。「“神は人の敬によって威を増す”という言葉が、私たちにはあります。まずは、身近な神社にぜひ足をお運びください。謙虚な心で神様にお参りし、お祈りすれば、神様もまた応えてくださるでしょう。そうした積み重ねが、日本をよい方向に導くと思います」。私も、近くの神社にお参りしてみようと思いながら、美しい神宮を後にしました。



京都御所の建物を移築した神苑内の尚美館(貴賓館)

南坊城権禰宜(右)と記念撮影


平安神宮/

所在地:京都市左京区岡崎西天王町
TEL:075-761-0221
URL: http://www.heianjingu.or.jp/


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