2007けんざい
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けんざい229号掲載


明石市立天文科学館

明石市立天文科学館といえば、日本標準時子午線が通る同市のシンボル。子どものころ、巨大な時計塔に見とれ、プラネタリウムにワクワクした思い出を持つ人も多いことでしょう。取材に訪れたのは、開館50周年の節目となる大改修を終えて間もない時期。小惑星探査衛星「はやぶさ」の帰還とも重なって、小さな子どもたちから高齢者の方まで、たくさんの人々でにぎわっていました。
「けんざい」編集部 木絢子


東経135°の子午線上にある科学館
 JR明石駅から東へ約15分。静かな住宅地から小高い丘に向かって歩いていくと、巨大な時計塔が見えてきます。明石市立天文科学館が建っているのは、日本の標準時の基準である東経135°の子午線上。「日本標準時子午線」を意味する“J.S.T.M.”の大文字が、時計塔に鮮やかです。
 「日本の標準時が定められたのは1886(明治19)年。国際子午線会議の決定に基づき、東経135°の子午線上の時間が日本の標準時となりました」。
 そう教えてくださったのは、同館の松下豊久・業務係長。ちなみに、現在の標準時は原子時計で定められ、大時計もその表示に合わせてあるそうです。
 松下係長の案内で館内を見せていただきました。まず訪れたのが、1960(昭和35)年の開館当時からある東ドイツ(当時)・ツァイス社製プラネタリウム。総重量2トンの巨大な装置が多彩な星空を映し出します。
 「投影できる星は、太陽、惑星、恒星、天の川など9,000以上。数百枚のレンズと歯車、ランプの組み合わせだけで、何千年前もの過去から未来の星空まで映し出せます」。稼動中のものとしては国内最古、世界でも貴重な長老級ですが、まだまだ現役だそうです。
 プラネタリウムドームから展示室に向かうと、古い和時計から子午線の観測機器、最新の宇宙論を示す模型まで、「時」と「宇宙」に関する最新展示が並びます。うれしいのは、その多くが実際に観察したり、触ったり、動かせること。太陽望遠鏡のリアル映像や隕石のサンプル、屋外には人間日時計もありました。
 「見るだけの展示で、科学を身近に感じてもらうことは難しい。そんな思いから、今回の改修では体験型の展示を増やしました。過去、人気のあった展示も一部復活していますよ」と松下係長。子どもたちはもちろんですが、小さなころ科学館を訪れた親世代、さらに高齢者の方々の再来館も増えているそうです。
 最後に案内されたのは、地上14階の展望塔。明石海峡大橋から淡路島までを望むパノラマとともに教えられたのが、市内に現存する子午線標識の存在です。
 「子午線標識は、時と宇宙の科学に深い関心を寄せてきた明石市民の歴史遺産です。天文科学館の建設も今回の改修も、その積み重ねの上にある。『子午線のまち明石』のいわば原点が、あの標識なのですよ」。



開館当時から現役の旧東ドイツ製プラネタリウム

銀河系の構造が分かる模型

屋外にはさまざまな日時計が並ぶ

数々の時計が時の歴史を伝える

隕石サンプルや宇宙開発史のある「宇宙のギャラリー」

展望室からの眺望はすばらしい

明治の子午線標識設置から続く歩み
 「子午線のまち」明石のスタートは、今から100年前にさかのぼります。「1910(明治43)年、当時の明石郡小学校長会の人々がお金を出し合い、初めての子午線標識(石碑)を建てたのです」。そのころの小学校長は、西洋の近代文明を学んだ最先端の知識人。その強い使命感が、この運動につながったのでしょう。
 「その後も、観測機器や測定法の進歩にともない、新しい子午線標識が建設されました。特に、1928(昭和3)年の天体測量による標識は『トンボの標識』として親しまれ、戦後の1956(昭和31)年には再測量に基づく位置の移動が行われています」。それを後押ししたのは、明治から受け継がれてきた「子午線のまち」「天体観測のまち」の誇り。天文科学館の誕生もこの市民意識があったから、と松下係長はいいます。
 「当時は、スプートニクに始まる宇宙開発への関心が高まった時期。明石市でも国立施設を誘致しようとしたのですが、なかなか進まない。それなら、と行政と市民が力を合わせた結果、1960(昭和35)年に、現在の市立天文科学館が生まれたわけです」。
 標準時子午線の上に完成した天文科学館は、二つの円形平面を持つ4階建ての主屋の上に、地上54mの展望塔がそびえる印象的なスタイル。日本標準時を示す大時計、口径15cmの屈折望遠鏡、大型プラネタリウムと数々の展示で、多くの人々に親しまれてきました。

大震災の試練を乗り越え、今年開館50周年
 1995(平成7)年1月17日、天文科学館は試練を迎えます。あの阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)です。
 「展望塔は随所がひび割れ、内部のエレベーターシャフトは破損。望遠鏡は転倒し、大時計も停止しました」。
 専門家から「大破」の判定を受ける被害でしたが、人々は復旧に全力を尽くします。まず、シンボルの大時計が2月17日正午から運転を再開し、人々を力づけました。さらに、同年12月から本格的な復旧工事が行なわれ、天文科学館は復活を遂げます。再オープンは、明石海峡大橋が開通した1998(平成10)年3月15日。待ちかねた市民が続々と入館したといいます
 「一時は、館の存続さえ危ぶまれる被災状況でしたが、3代目の大時計や最新の望遠鏡も導入され、パワーアップしてよみがえりました。市民に親しまれてきた施設だからできたことでしょうね」。国の協力もあり、耐震設備や内外装も一新されました。
 こうしてよみがえった天文科学館は今年開館50年。文化庁の登録有形文化財にも登録される運びになっています。「当時の子どもたちもお孫さんがいる年代。3世代で訪れてくださる方も多いですよ」とにこやかに語る松下係長に、天文科学館の今後をうかがいました。
 「市民に支えられた科学系博物館であることが当館の強み。省エネやエコロジーといった分野にも視野を広げながら、これからも明石市の独自性を発信する施設であってほしいですね」。子午線のまちのシンボルに寄せる熱い思いを、改めて実感した瞬間でした。


新たに設置された太陽光発電パネル

外壁タイルは同館オリジナル


標準時子午線を示す明石市街の模型


プラネタリウムドームはチタン製

日本標準時子午線の前で松下係長(左)と

明石市立天文科学館

所在地:兵庫県明石市人丸町2-6
TEL:078-919-5000
URL:http://www.am12.jp


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