2007けんざい
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けんざい227号掲載


伏見稲荷大社

 関西では、「伏見のお稲荷さん」の名で親しまれている伏見稲荷大社。8世紀の創建以来、皇室、貴族、武家の尊敬を集める一方、「商売繁盛の神」として、多くの庶民や企業家が参拝してきました。景気の先行きが不透明な今、ハラハラしながら下界を見守られているかもしれない「お稲荷さま」にお会いするために、稲荷山の山すそに広がる境内を訪ねてみました。

「けんざい」編集部  木絢子


朱塗りの大鳥居と楼門に迎えられて

 JR稲荷駅の改札から1分も歩かないうちに、朱塗りの大鳥居と、その向こうにそびえる鮮やかな楼門が見えてきました。ここは、名高い伏見稲荷大社。全国3万社以上といわれるお稲荷さんの総本宮にあたります。
 ゆったりと続く参道は、平日なので静かなたたずまい。でも、お正月三が日は身動きが取れないほどの人出になります。「2009(平成21)年は、関西最高の約277万人が参拝に訪れました」と、案内をしてくださった同大社宣揚事業部宣揚課の宮掌・西野貴洋さん。京都市の人口の1.5倍に当たると聞けば、「お稲荷さん」に寄せる人々の思いのほども分かります。
 堂々とした朱塗りの楼門、舞台のある外拝殿を通り過ぎて、まずは本殿につながる内拝殿へ。大きな一対の狐像が見守る中、二礼二拍手一礼の作法どおりにお参りしました。西野さんに教えられて、本殿の裏へ回ると、そこにも小ぶりのおさい銭箱が。「お稲荷さんにちょっとお願いが」と、油揚げ持参でこちらへ参る人も多いのだそうです。
 稲荷山の山すそに広がる境内は、ゆるやかな階段で上へ上へと続いています。その奥宮からさらに進むと、朱塗の鳥居がずっと連なっています。有名な千本鳥居です。「鳥居が“通る”に通ずることから、願いが“通る”“通った”ということで、江戸時代後期から始まったものだといわれます」と西野さん。人が通れる鳥居だけで約5,000基、小さな物も含めれば1万基はあるだろうといいます。延々と続く鳥居の列には、人々の特別な思いがこもっているようでした。

室町時代からの歴史を伝える本殿
 「伏見のお稲荷さん」と呼ばれる伏見稲荷大社のご祭神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神、四大神(しのおおかみ)の5柱。御鎮座は平城遷都翌年の711(和銅4)年にさかのぼるといいます。
 「古記録によれば、当時の豪族・秦伊呂具(伊呂巨)(はたのいろぐ・いろこ)が矢を射たところ、的にしていた餅が白鳥と化して山の峰に降り立ち、そこに稲が生じたため、「稲生り=イナリ(稲荷・伊奈利)」と名づけて祀ったそうです」と西野さん。そこには、古い山岳信仰や農業神信仰、当時先進的だった渡来系氏族・秦氏との深いつながりがうかがえます。
 当初、稲荷山中の3つの社に祀られていた3柱の神々は、皇室や貴族、武家の厚い崇敬を集め、942(天慶5)年には、正一位を授けられます。しかし、応仁の戦乱で山上山下の社殿は炎上。「その後、『五社相殿』とよばれる、今の本殿が築かれたわけです」。
 現存する本殿(重文)および奥宮は、その頃の歴史を伝える貴重な建物。桧皮葺き・流造と呼ばれるたたずまいは由緒ある神社にもかかわらず、どこか優しい印象があります。
 また、2層桧皮葺きの楼門は16世紀のもの。豊臣秀吉が、母大政所の病気回復を祈って寄進したものです。400年以上前の人々も、この楼門をくぐったのかと思うと、不思議な感慨がありました。 一方、伏見稲荷大社の古い信仰を伝えるのが、千本鳥居から稲荷山へと続く「お山めぐり」の道です。ここは、稲荷大神が降り立った峰として神聖視されてきた場所。山内の要所は、「一ノ峰」「二ノ峰」「三ノ峰」などと呼ばれ、合計1万基もの塚があるのだとか。「今も、ご鎮座にゆかりある2月の初午には、多くの方々がお山をめぐられますよ」。西野さんの言葉に、大昔から脈々と続く稲荷信仰の姿を実感しました。



延々と稲荷山中に続く千本鳥

豊臣秀吉が寄進したという朱塗りの楼門

稲荷山

朱塗りも鮮やかな本殿

奥社奉拝所

境内にはいたるところに狐の姿が

「商売繁盛」の由来と「狐」とのかかわり
 ところで、お稲荷さまといえば、「商売繁盛」。なぜ五穀豊穣の神が、と思っていたのですが、「お米がお金でもあった江戸時代、五穀豊穣を祈ることは財産富貴を祈ることと同じです。その結果、商売繁盛の神となったようですね」という西野さんの説明で納得しました。
 では、「狐」は? こちらは、かなり古くからの関係ですが、背景は明らかではないそうです。「五穀豊穣をかなえるお稲荷さまは、食物の神という意味で、御饌神(みけつかみ)とも呼ばれていました。その「みけつ」がいつか御狐(おけつね)・三狐(みけつね)に転じたという説が有力です」と、教えていただきました。
 ちなみに、お稲荷さまの好物が「油揚げ」とされるのも根拠はなく、狐の毛色からの連想や、五穀の一つである大豆と油を原料とするご馳走だったことが関係しているのでは、とのこと。だから、神様に供える正式の食事(御饌=みけ)にも、油揚げは入っていないのだそうです。
 「でも、油揚げを供えてお参りする人々の信仰は、本物です。お稲荷さまも、その心をよしとされるのではないでしょうか」。西野さんの穏やかなお話に、全国で最も多いといわれる「お稲荷さん」の人気の秘密を見たような気がしました。
 長い信仰の歴史を持つ伏見稲荷大社は、2011(平成23)年に、御鎮座1300年を迎えます。「決して平坦ではなかった歴史の中で、大社が1300年の歩みを重ねることができたのも、先人たちの努力と人々の信仰があったからでしょう。その積み重ねに思いを致しつつ、国家・国民の平和と繁栄を祈り続けます」と西野さん。伏見稲荷大社にとっても、私たちの国にとっても、2010(平成22)年がすばらしい年でありますようにと願いながら、朱塗りの大鳥居を後にしました。


試し石の「おもかる石」


宮掌の西野さん(右)と記念撮影

伏見稲荷大社/

所在地:京都市伏見区深草藪之内町68番地
TEL:075-641-7331
URL: http://inari.jp/
鎮 座:711(和銅4)年


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