2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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けんざい223号掲載


JR門司港駅

 北九州市門司区にあるJR門司港駅は、九州の北の玄関口。本州と九州、さらに中国大陸を結んで、多くの人や貨物の行き来を見つめてきました。今年95歳のこの建物は、駅舎では初の重要文化財。大正・昭和・平成の三代の歴史を刻んだレトロな建物が、1日約1万人もの乗降客の旅の安全を、今日も見守っています。

越智産業株式会社 江村美和

歳を迎えたネオ・ルネッサンス様式の駅舎

 駅前広場から眺めると、海の向こうには下関の街並みが広がっています。関門海峡を間近にのぞんで、風情ある建築が点在する「門司港レトロ地区」。その一角に、JR門司港駅は穏やかにたたずんでいました。
 駅舎は両側に小さな塔を持つ銅板葺き、下見板張り、左右対称の2階建て。ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれるスタイルだそうです。緑青色の屋根や窓まわりの細かな仕上げ、2階バルコニーの装飾から伝わるのは、当時の人々の丹念な仕事ぶり。95年前とほぼ変わらない姿には、何ともいえない味わいがあります。
 「室合待」という、古い表示板に一瞬戸惑いました。「待合室」の昔の書き方なのですね。「駅長室」や「手荷物取扱所」などの表示も、全部同じ。あわただしい現在の中で、ここにはまだ大正時代のゆったりした時間が息づいているかのようでした。

さまざまな逸話を生んだ九州の玄関口

 詳しい話をうかがうため、第56代の大谷資駅長を訪ねました。通された駅長室は、高い天井と高い窓、落ち着いた木の調度が印象的な空間。昔は、この中央にシャンデリアが下がっていたそうです。
 駅長によれば、現在の門司港駅は1914(大正3)年竣工の2代目。1891(明治24)年開業の初代駅から200m西側に建てられました。当時の駅名は「門司駅」。「門司港駅」となったのは、1942(昭和17)年の関門トンネル開通計画以後です。
 「そのころの門司は、九州の鉄道の起点でもあり、関門連絡船の発着場であり、さらに日本から中国大陸への出発点でもありました。ビジネス客、一般客、さらには筑豊の石炭などの物資をスムーズに運ぶために、港と直結する大型駅が必要となったようです」。
 戦後も、大陸からの引揚者と出迎えの家族、さらに大阪・東京方面への旅客や貨物で門司港駅は繁栄を続けました。門司港に陸揚げされたバナナの叩き売りが名物になったのもその時代だそうです。
 「1964(昭和39)年までは関門連絡船が発着。接岸のたびに構内は乗換客で満員でした」と大谷駅長。その連絡口の跡も、駅の一角に残されています。最盛期には500人の駅員さんがいたといいますから、そのにぎわいが分かります(現在は42人)。
 出会いの中では、さまざまな逸話が生まれました。誇りの鏡にまつわる話もその一つ。終戦直後のある日、大混雑する駅の構内で1人の女性が産気づきました。駅員の1人が機転を利かせて自宅に運び、女性は無事に男の子を出産。門司駅にちなみ「左門司」と命名されました。体調が戻った女性はお礼を繰り返しながら、赤ちゃんと一緒に実家へ戻ったそうです。
 「その左門司さんの成人後、再びご両親が駅を訪ねてこられ、お礼にと贈られたのが、駅務室にある誇りの鏡です。今でも駅員は、この鏡の前で身だしなみを整えてから、駅に出ることになっています」。
 誰もが生きるだけで必死だった時代、お客さんの生命を第一に考えた駅員さんが、ここにはいたのですね。門司港駅がレトロ地区の中心として、人々に愛され続けてきた理由が、少し分かった気がしました。

 


歴史ある駅長室で語る大谷駅長

駅員を見守る誇りの鏡

関門連絡船への乗り継ぎ通路跡

天井の高い門司港駅構内、右が改札口

プラットホームの梁も古いレール

出発の鐘

懐かしい時間がただよう重文指定の純木造駅

 お話を終えた大谷駅長が、駅舎を案内してくださいました。最初は2階貴賓室。質素な中にも上品な内装の部屋は、かつて昭和天皇も休憩された場所です。また、向かい側の大ホールでは、美しいシャンデリアの下で舞踏会なども開かれたのだとか。当時の門司駅は、地域の社交の中心でもあったようです。
 駅の1階には、大戦中の金属供出を免れた「幸福の手水鉢」、引揚者がのどを潤したという「帰り水」などが残っています。レトロな待合室や手荷物取扱所を眺めていると、一瞬大正時代に戻ったかのようです。
 落ち着いた色に塗られた自動改札機の向こうはプラットホーム。かつて列車の出発合図に使われた鐘や蒸気機関車の巨大な動輪、九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)標が置かれています。大谷駅長によれば、ホームの屋根を支える古いレールの梁も昔のままとのこと。今を生きる私にも、懐かしさが伝わってきます。
 「1988(昭和63)年の重文指定を機に、駅員の制服も大正風のものに改めました。当時の福本駅長の発案ですが、お客さまにも好評です」。
 驚いたのは、これだけの建物が全部木造だということ。鉄骨もコンクリートも使わずに1世紀近くを生き抜いてきたところに、当時の職人たちの腕前がうかがえます。ちなみに、設計は当時の鉄道院九州鉄道管理局工務課。「東京駅を設計した辰野金吾の弟子が関わっていたのでは」という説もあるそうです。
 「重要文化財でもあるので、火の気には神経を使います」と大谷駅長。修理にも煩雑な許可が必要だそうですが、「代々の駅長と門司市民が守ってきた駅舎ですからね。次の世代にきちんと手渡すのが、私の努めだと思っていますよ」と笑顔で話してくださいました。
 この春からは、かつての貨物線を利用したトロッコ列車「門司港レトロ観光線」が、この駅から出発する予定です。「潮風を感じて走る、気持ちのいい列車ですよ。一度乗ってみてください」と大谷駅長。その時はぜひと思いつつ、早春の駅に別れを告げました。

 


幸福の手水鉢

自動改札口も落ち着いた色合い

帰り水

 

 

 


0哩(マイル)標の横に置かれた動輪同

同じ駅長の制服で大谷駅長(左)と

JR門司港駅/

名 称:JR門司港駅(JR九州)
所在地:北九州市門司区西海岸1-5-31
TEL:093-321-8843
竣 工:1914(大正3)年


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