2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
ホーム お問合せ
会員団体出展者専用ページ 協会の概要 会員名簿 業種別名簿 品目・業種別分類表 統計資料 関連リンク

フェスティバルホール

けんざい217号掲載


間口30m、奥行22.5mの大舞台から2700席の客席をのぞむ

 

 印象的な信楽焼の大レリーフ。豪華なシャンデリア。真紅のカーペットの向こうに広がる、豊かな音楽の世界。今から0年前、“祝祭”という名を持つこのホールが誕生したとき、大阪の人々はどんなに誇らしい気持ちだったでしょう。関西はもとより、日本を代表する音楽の殿堂として、数々のアーチストと聴衆を迎えてきたフェスティバルホール。建て替えのため、今年いっぱいで一時閉館されるこの名ホールの記憶を刻んでおくために、さっそく中之島へ出かけました。

長瀬産業株式会社 山田恵子氏


ウィーンフィルなどの名前が無数に刻まれた反響板巨匠カラヤンも使った楽屋でスタッフの長谷さん(右)と

 

■訪れた人だけの思い出がある

 〈フェスティバルホール〉には、人それぞれの思い入れがあるようです。年配の人々にとって、ここはやはりクラシック音楽の殿堂。カラヤンやバーンスタイン、朝比奈隆といったマエストロたちの指揮を語る人、ベルリンフィルやウィーンフィルの高らかな響きを懐かしむ人、オペラ座のバレエやミラノ・スカラ座の感動を語る人は、今も少なくありません。

 一方で、ロックやポップスのコンサートを通じて、このホールになじんだ世代も多いようです。レッド・ツェッペリンの4時間連続コンサート、ナット・キング・コールやルイ・アームストロングといったジャズ界の巨人たち。さだまさしや山下達郎、高橋真梨子といった日本人アーチストのコンサートで、ここに通った人も多いことでしょう。

 「チケットを求めて5時間並んだとか、コンサート代のために貯金をはたいたとか、そんな個人的な記憶も含めて、訪れた人の分だけ思い出がある。それが、フェスティバルホールの伝統というものでしょうね」。 そう話してくださったのが、このホールの支配人・西部宏志さん。ご自身も観客として、さまざまなアーティストのステージを見続けてこられた一人です。

■「欧州の一流ホールに匹敵するものを」

 「フェスティバルホールが誕生したのは1958年(昭和33)。発案者は、当時の朝日新聞社主夫人で朝日ビルディング社長だった村山藤子氏でした」。 エジンバラやザルツブルグの芸術祭に匹敵する国際的な音楽祭を大阪で開きたい。そのために、一流のホールを創ろうというのが、その思いだったそうです。 当時は、大阪市内のあちらこちらにまだ戦争の痕跡が残る時代。企業も個人も、まず働くこと、食べることが優先されたに違いありません。そんな時代に、なぜこれほどのホールを?

 「そういう時代だからこそ、本物の音楽、本物の芸術が必要だと思われたのかもしれません。それに、大

阪では昔から、商家の旦那などが文化や芸術にお金を出す伝統があった。明治以後でも、中之島公会堂や大阪府立図書館などは個人の寄付で建てられています」。

 とはいえ、産業復興も十分でなかった時代。ホール建設に必要な鉄やコンクリートを調達するのも大変だったようだと、西部氏はいいます。

 「にもかかわらず、このホールは内外部とも、実に丁寧に造り込まれています。意匠や調度も、いまだに当時の格調を保っている。だからこそ50年間、人々の愛着に応えることができたのではないでしょうか。」

 


残響1.7秒を実現した独特の天井

多数の出演者を見守ってきた調整卓

 


レッドカーペットとシャンデリアが華やかなロビー

■聖なる響きは“神様の贈り物”

 フェスティバルホールといえば、どうしてもうかがいたかったのが、あの美しい響きの秘密です。訪れたアーチストが一応に感嘆するという残響1.7秒は、どうしてできたのでしょう。「当時最新の音響工学を基に設計されたのは確かです」と西部さん。ただし、ここまでしっかり残響音が出て、心地よい音になっている理由は“謎”だそうです。

 「当時は、コンピュータももちろんない。今のような音響シミュレーションも不可能だったはずです」。 しかもホールの形状は、一番響きがよいとされるシューボックス(靴箱)型ではありません。

 「舞台が横に広く、客席もそれに応じた配列です。これでいい残響を生むのは、音響学的には奇跡に近いらしい。私たちは、神様の贈り物だと言っています」。

 その“贈り物”が、幾多のアーチストをとりこにしてきました。たとえば、気難しいことで知られたカラヤンも、リハーサルの後でニヤッと親指を立てたとか。

 「舞台に立った皆さんがおっしゃるのは、拍手の響き。本当にホール全体から舞台に、ものすごい拍手が降り注いでくる。一度あれを聞いたら、もうやめられないというアーチストの方がたくさんいます」。

 拍手の暖かさには、大阪の気風もあるようです。

 「バレエの出演者の方々がいうには、このホールはとても踊りやすい。お客さまのノリがいいので、気持

ちよく踊れるのだそうです。これも、フェスティバルホールの隠れた伝統かもしれませんね」。

■50年の伝統は、新たなホールへ

 数々の伝統を刻んだフェスティバルホールですが、中之島再開発事業に伴うビルの建て替えにより、今年いっぱいで一時閉館と発表されました。幾多のアーチストを迎えた舞台はもとより、レッドカーペットのロビーやシャンデリアにも、当分会えません。

 「現在地には、地上約200mのツインビルが建設されます。新生フェスティバルホールも、その中でよみがえる予定です」。

 フェスティバルホールの伝統をふまえ、音響効果については特別チームが設計に当たるそうです。 「ただし、最新の手法を使っても、実現できるのは想定した音の8割程度と聞きました。私としては、再び神様が贈り物をしてくれることを祈るだけです」。

 ステージの一部や反響板など、数々の歴史を刻んできた現ホールにゆかりの部材が、新しいホールにも生かされればいいのですが、と西部さん。私も同じ気持ちです。

 「過去の遺産を生かすことで、フェスティバルホールの歴史は新たな時代に受け継がれます。それは、このホールに響いた無数の音を受け継ぐことであり、ここに集まった多くのアーチスト、多くのお客さまの想いをつなぐことでもあると思うのです」。

 新しいホールは、2013年(平成25)の誕生を目指しています。どんな音が受け継がれ、どんな感動が新たに生まれるのか、大きな期待を込めてその日を待ちたいと思います。

 


勅使河原宏氏による緞帳は、黄金の竹のトンネルがモチーフ


ビッグステージを支えてきた広い舞台裏スペース


ウィーンフィルなどの名前が無数に刻みこまれた反響板

フェスティバルホール

所在地:〒530-0005 大阪市北区中之島2丁目3番18号
TEL:06-6231-2221(代表)
URL: http://www.festivalhall.jp/
竣 工: 1958年(昭和33)


一覧に戻る
 
Copyright (C) 2007 JAPAN BUILDING MATERIALS ASSOCIATION. All rights reserved.