2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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飛田 百番 けんざい207号掲載
  昭和元年に建築された木造名建築(文科庁有形登録文化財)がいまも現役で使われている。飛田の元遊郭「百番」だ。高級遊郭から料亭へと変身し、今ではリーズナブルな宴会料亭として多くの人に愛されている。本協会事務局の高木絢子さんが取材した。

百番の名ストーリーテラー
住森さんと太鼓橋で


木造建築の贅沢てんこ盛り

 色町の名称は新地・新町。飛田新地のルーツは明治末期に大阪ミナミ一帯を襲った大火災という。全焼した難波新地に代わって、大正7年から飛田新地がつくられ最盛期には300軒もの遊郭が軒を連ねていた。遊郭街ならどこでもある「大門」に近いところから順に番号が付けられた。百番も同様のネーミングだが、1番や百番はもっとも「高級」な店に与えられたという。
 この建物は当時のビジネスに長けた企業が貸遊郭として贅を尽くして大正末期に建設、昭和元年に完成、大繁盛した。その後、所有者が代替わりし遊郭として存続したが、昭和33年の通称「赤線」廃止の際に料亭に衣替え、あわせて大改築されたという。現在の所有者(株式会社鯛よし)の手に移ったのが昭和43年。
 「初代も二代目からも建物に関する資料は一切受け継いでいないんです」と、広報担当の住森正徳さん。数年前に二代目の関係者が店にやってきて、大正時代の写真などを見せてもらったが手がかりはないという。

「顔見せの間」白鷹のふすま絵と
しつらえの“天満宮”
 

 たしかに「贅を尽くし」ている。玄関を入ると天満宮を模した「顔見せの間」。生身の遊女ではなく、彼女たちの写真(もちろん白黒)を並べていたという。
  応接室(待機サロン)は絢爛豪華な日光東照宮を模している。入口を飾る陽明門には左甚五郎作に模した「眠り猫」が、室内天井には「泣き龍」も描かれている。内部の造作も手が込んでいて、宮大工を日光へ学びに行かせたとのこと。とりわけ扉が美しい。時を経ても黒塗りに螺鈿が輝いている。朝鮮半島から螺鈿職人を招いてつくらせたという説もある。

今も残る手彫りの
切り子ガラス

「由良の間」床の間。上の
引き戸は大石家の二つの巴、
下は雪の両国橋

由良の間に舞う白鷹

百番の守護という中庭
 
1階大広間の天井絵
百番は小さな小さなテーマパーク

 住森さんの話しでは「客は玄関から天満宮、日光東照宮という神聖な場所に入り、俗世の汚れを落とす。住吉大社の太鼓橋を渡り、三条大橋に見立てた階段を上がると、遊女の部屋・2階は浮世。百番は小さな小さなテーマパークです」。玄関を一歩入れば現実世界から解き放たれるという趣向、日常のことを忘れて非日常を味わいたいという欲求にあわせた造りだと考えると、人の心は今も昔も変わらないのだと感じた。
 浮世は遊女の部屋だ。各室ともそれぞれにテーマがあり、「由良の間」は大星由良助=大石内蔵助で赤穂浪士の討ち入りをモチーフにした絵が壁や障子に、47士の家紋が天井を飾る。喜多八の間は大井川の渡しがテーマで、船のつくりの室内から廊下を見やると壁に富士山が描かれている。
 3室をつなげた1階の大広間も欄間、明かり取り、床の間、ふすまなど造作がすごい。多数の宮大工をそれぞれ競われて造作したという。
 80年を経て今に生きる百番がすごいのは素晴らしい建築物であるだけでなく、ずっと使われ続けているということだろう。ふすまはボロボロ、金箔もあっちこっちはがれているし、壁の絵画は持ち主の好みで書き直された跡もある。隔離して誰にも見せないのではなく、誰でもいつでもそこに身をおける。大阪文化の誇りだ。しかも、「いつでも建物の説明をさせてもらいますよ」。住森さんのストーリーテラーの語り口で百番物語をいつでも聞けるのも嬉しい。
 百番の建築技術をいま再現するのは困難だろうし、さらに困難なのは大工のこだわりと情熱ではないだろうか。部屋の細かな細工ひとつ一つに明治生まれに違いない当時の宮大工の職人魂を感じた。 (記:高木絢子)

飛田 百番

/ 場所 大阪府大阪市西成区山王3丁目5番25号
    TEL 06-6632-0050
    交通 JR大阪環状線天王寺駅下車、徒歩約10分
地下鉄御堂筋線動物園前駅下車、徒歩約10分
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