2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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横浜市開港記念会館

けんざい193号掲載

  横浜港が開港したのは安政6年(1859)。前年に結ばれた日米修好通商条約の取り決めにより、一寒村であった横浜に急遽築港されたのである。その横浜で市民に広く親しまれているのが中区の本町通りとみなと大通りに面して建つ横浜市開港記念会館。重要文化財でありながら気軽に集まれる公民館として、利用者・見学者は合わせ年間約15万5千人にのぼる。日東紡建材事業部門市場開発部の鳥居妙子さんが会館の歴史についてお話を聞いた。
利用申込みが殺到し、
「お断りするのに苦労
します」(深井氏)。
見学者も連日訪れ、
多い日は200人近く来館し、
館内はいつもにぎやかだ

鳳凰一対と横浜市徽章(「ハマ」の2字を
デザイン)が描かれたステンドグラス

 


階段ホール2階部分にある
ポーハッタン号を描いた
ステンドグラス。右下ブロックに
星条旗が見える

懐かしの町会所「時計塔」を再現 高塔に大正期煉瓦造建築の粋

 横浜市開港記念会館は大正3年(1914)、開港50周年記念事業の一環として着工され、6年(1917)に竣工した。建設費36万円は商人や市民から寄付を募った。この地にはもともと横浜市民の中心施設である町会所が建っていたが、明治39年(1906)に焼失している。会館の設計は公開コンペ方式によって旧町会所のシンボル「時計台」をイメージした案が採用された。
 震災や戦争を乗り越え、ハマのシンボルとして今も日々たくさんの人々が集い、交流する同館は大正7年(1918)年竣工した大阪市中之島の中央公会堂とともに大正期の公会堂建築を代表するひとつである。案内してくれた深井楯男館長代行は「赤煉瓦と花崗岩をとりまぜた外観が素晴らしいでしょう。これは辰野式フリークラシック様式という、日本銀行本店の設計者でもある辰野金吾が創り出した独特の西洋建築様式です」と誇らしげだった。ドーマー窓の並んだ寄棟屋根とマンサード屋根の上部にさらに越屋根が置かれ、高さ約35メートルの時計塔と王冠のような八角形のドームがバランス良く配置されている。
 この建物は実は大正12年(1923)の関東大震災で大きい被害にあっている。ドーム部や内装を火災で失ったのである。深井氏の説明では「高塔部や煉瓦造りの外壁だけは残りました。明治期最高の煉瓦造建築耐震構造『錠聯鉄構法』を取り入れていたから堅牢だったのです」ということだ。大正15年(1926)に37万5,000円の工費で復興工事を行なったが、“とり急ぎ”の復旧だったため、同館の際だった特徴であるドーム部までは再建できなかった。

 


時計台への階段は200段。
「頑張って登ってきます!」
(鳥居さん)


空襲にも無傷、戦後も幸運に恵まれる
「変わらぬ姿」維持のために努力

 昭和20年(1945)5月の横浜大空襲の際、同館は幸運にも無傷で残ったが、終戦直後から昭和33年(1958)まで連合軍に接収されることになる。さぞかし荒れただろうという推測に反し、比較的きれいなまま返還されたという。これにはエピソードがあった。同館内に飾られている美しいステンドグラスが館を守ったのである。それらは開港当時の交通のようすと、日米修好通商条約締結のため来航した米軍艦ポーハッタン号を描いたもので、日本で初めてステンドグラスを広めた宇野沢辰雄の工房による作品だ。このポーハッタン号には小さい星条旗も描かれている。接収した兵士たちは星条旗を見て「敵国であるアメリカの国旗を描いたものをこうやって戦争中も飾ってくれていたのか」と感銘を受け、とても丁寧に館を使用したという。「こんな小さな星条旗のおかげで助かりました」と深井氏はうれしそうに語ってくれた。

エレベーター(後方)設置のため
切り取られた1階通路壁を
「いつか使える日が来るかも」
(深井氏)と大事に保管
 
 「昭和63年のドーム復元工事で記念会館はようやく元の姿になりました。創建当時に戻したい、というのが横浜市民みんなの気持ちでした」。しかし「元に戻す」ことが実は最も難しい。同館の使用材料記録を見ると、外壁に有田産化粧タイルと茨城県稲田産の花崗岩、高塔のバラストレード(手すり)の装飾には国産テラコッタ、屋根を葺いた天然スレートは宮城産の玄昌石を使っており、当時のわが国では最高水準の煉瓦建築意匠であったことをしのばせる。修復の際いちばん困るのが材料の調達だが、建築学の研究者らがわざわざ「○○に行けばあるはず」などと教えてくれたりした。その反面、たとえあったとしても予算がなければあきらめねばならないし、時代の変化とともに法による規制も生まれ、加工に制限が課せられたりと、いろいろ苦労もあったそうだ。
 「50年後、100年後も今のままの姿で、それぞれの時代の人に大事にされる横浜のシンボルであってほしい。そして、公民館として末永く使ってもらえるように少しでも良い状態で保ちたいと思っています」と言う深井氏のことばには、この会館へのなみなみならぬ思い入れが感じられた。 (記:鳥居妙子)

横浜市開港記念会館

/ 場所 横浜市中区本町1-6
    TEL 045-201-0708
    交通 JR京浜東北線・根岸線/市営地下鉄関内駅下車徒歩10分
みなとみらい線日本大通り駅下車すぐ
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