2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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講演会の予定・講演録
建築材料と建築設計の相関性

株式会社日本設計 チーフ・アーキテクト 松尾 和生 氏

建築は「時・質・利」で働き「天・地・人」で動いて生まれる
 「時・質・利」は、建築をつくる上で必ず考えることです。質を上げると時間がかかり、利益も減る。利益を考えると時間と質が気になります。企業の皆さんは、日々、ここに四苦八苦されていることでしょうが、われわれ建築家はむしろこれを乱す傾向があり、時間がかかり、質は高く、コストもかかり…(笑)
 しかし、「時・質・利」は「天・地・人」により、実現します。天とはタイミングのことで、「偶然、たまたま」。地は敷地環境や技術。人は、仲間。例えばお酒の席でたまたま仲よくなりうまくいく……巡り合わせの現場での人の妙です。
 私はこれまで「天・地・人」に助けられ続けています。建築家は「時・質・利」にこだわり、動きます。そこに「天・地・人」が動き、結局「時・質・利」も上がるのです。これが建築の面白いところです。この6つの要素がぐるぐると複雑に絡み合うわけです。

 
建築家が建築材料に期待すること
 建築家は、1.物性(強度、特性)、2.意匠(質感、色彩、重量感)、3.法規制(耐火、不燃)、4.安全性、5.価格、6.エコという6つのことを絡めて素材を選択します。私がもっとも大事だと思うのが物性です。建築家は材料のいわば“いいなり”。建築材料が進化すれば建築物は変わります。
 建築家が新しく建築を創造するとき、イメージに合致する建築材料の性能や質感、色彩などの素材特性によってイメージします。従って、特性がよければよいほど、よいイメージができます。
 素材は設計する建築の個性をも決める力があり、建築材料の開発が建築デザインの未来を切り開くと言っても過言ではありません。
 のちほど紹介しますが、高知城歴史博物館(高知市)の外観の一部です。後ろに導光板があって、夜間はガラス自体が光り、街灯の様になります(図1)。
 現代社会の常識も、一つの建築材料の発明や使い方によって激変するでしょう。建築の構造材に使えるものは、木材以外はコンクリートと鉄しか出ておらず、新素材が一つ出れば間違いなく激変します。それくらい建築材料はすごいものです。
 素材の進化で社会変化に大きく影響するのは物性であり、進化するほどに軽量化、かつ強靭化します。軽量で強靭な素材が未来を切り拓くのです。皆さんにそんな素材をつくってもらえれば、建築家は全く違う未知の建築のデザインを始めるでしょう。
 次世代の素材開発が進むと、木造から鉄、コンクリートへの変化のように、大きな社会変革期に入ります。しかしなぜ出てこないのか。それは、建築材料をつくるのに創造力が使われていないからです。建築材料を開発するには、創造力を駆使しているわれわれ建築家の能力が必ず必要であると私は考えています。それが融合したときに、社会に大きな変革が起こります。
 ところが、新素材が開発されても、しばらくは世に出てきません。液晶やLED……液晶は私が15歳のときすでにできていました。35年以上前です。技術開発には知能が必要ですが、「何に使うか・その素材が何に変化するか」は創造力の問題です。
 経済原理として既得権のある人々を急には排除できません。LEDが開発されても、突然蛍光灯をなくすわけにはいかないので、なかなか普及しません。だからLEDの単価は高くなる。蛍光灯が徐々になくなっていくまでLEDは安くならないのです。今ようやく蛍光灯がLEDに取って代わられるようになりました。
 
2.その建築材料の可能性を生み出せるか
 高知城歴史博物館の和室の格(ごう)天井は、木が菱形に組まれています(図2)。普通、格天井は正方形で、四角い断面の桟です。この桟は平断面とも菱形で大きな面とりがされています。現場初期は、職人さんらには「こんな馬鹿なことできない」と反対されますが、出来上がると「こんなものができるのか」と言われます。
 菱天井には、柿渋の土佐和紙がひとます4回貼られます。柿渋の土佐和紙は、今はオレンジ色ですが経年変化で黒くなります。黒くなると、別の白い雲母状の土佐和紙が黒バックに浮き上がったようになります。天井は経年変化するというわけです。白い雲母状の和紙は、高知の酒場でたまたま一緒に飲む人に和紙職人がいたことから知りました。偶然に素晴らしいものができることになるのです。畳に座るとこの天井は目の錯覚で柔らかに丸く見えます。
 建築家と素材の相関性は、素材の使い方を建築家が創造力によって劇的に変化させる点にあります。
 この天井はアルミ製です。京都のアルミ材工房には「そんな天井はできない」と言われました。私が何かをつくるときは、大抵「できない」と言われます。でもつくり方を創造すればできました(図3)。
 最近はアルミキャストがはやってきています。この天井が出来てから社会に普及し始めました。この天井デザインは4つのパターンを組み合わせています。私が模造紙に原寸でデザインを描き、木にその原寸デザインを削って石こうを乗せ、砂形をとってアルミを流し込みました。それまで、アルミキャストは枠で目地が水平に切られていました。水平目地ではデザインが死んでしまいます。工房の方々が徹夜で考えてくれましたが結局できないと私に謝りに来られました。そこで私が、目地を千鳥に(いろいろな所に)すればできるのでは、と提案すると、目を丸くして「そんなことはしたことがない」とおっしゃいました。
 しかし、これがやってみるとできるのです。やってみるのが大事で、途中で諦めたら絶対にできません。諦めず、馬鹿みたいに猪突猛進するのが建築家です。
 一つの素材を活かすも殺すも、使い方次第。よく「馬鹿とハサミは使いよう」と言いますが、これは無能を馬鹿にしているのではなく、使う側の力量が問われていることを表す言葉だと私は思っています。使いようには知性が必要で、感性だけで発明は起こりません。従って、開発には知性と感性の融合が必要です。
 また、「天才と阿呆は紙一重」もよく言いますが、今まで違う可能性を問う場合、常識ある人々は目を丸くするものです。私も大体「そんなことできません」と言われます。京都市の岡田茂吉記念館の屋根をつくるときもそうでした。これは棟から先端まで6m以上の長さを3.2mmの鉄板だけでつくった屋根です。その上に野地板を張って金属板をふきました。垂木や棟木といった構造体がありません(図4)。
 素材特性をイメージから生み出すのか、研究や学問から生み出すのかが重要なところです。これは、創造と計算、情と知、宗教と物理の関係のようなものです。情と知は相互に影響し合い、補完する関係にあります。情(感性)と知(知性)は、全く相反するものに見えますが、実は表裏一体です。
 これは、ガラスとガラスの間に障子をはめ込んだだけのものです。障子だけが自立しているように見えます(図5)。普通は柱や鴨居があるはずですが、全くない状態です。常識や普通がないのです。
 「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る」。これは素材開発には特に留意すべき言葉でしょう。素材開発者達が狭い世界で試行錯誤している場合、その深さを研究はするが、世の中の広さをどのくらい分かっているかが重要です。それを結びつけるのがわれわれ建築家だと思います。
 よい素材にも弱点があり、その弱点を補強する、脆弱なもので長く強靭にする、弱さを受け入れ強さにあぐらをかかない、素材の特性を引き伸ばす工夫をするには……こういったことが重要となります。3.2mmの薄っぺらい鉄板でも、折り曲げることで強靭な構造体になることができるわけです。
 
3.素材を開発するには
 孔子は「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」と言いました。この言葉は、素材の扱い方に大きな意味を持ちます。つまり、人のことを真に考えて素材を扱わないと、その拡がりは起こらないのです。利益も大切ですが、それは結果であり、動機にはなり得ません。
 素材開発の良し悪しは、このようなことわざにある深層を含んでおり、一筋縄ではいかないことが容易に想像できます。「小人」のように楽して利することを考るのは駄目。よい素材は、「君子」の自由で清らかな思考からしか生まれません。
 建築家が阿呆というわけではありませんが、突拍子もない馬鹿げたことが、社会に対して考え抜いた後の言葉であるとするなら、それは君子の言葉です。そして実現したときの社会への拡がりは、無限大の可能性を秘めているといえます。
 この一見、馬鹿げた創造の中に未来への可能性が含まれていることも多いので、この辺りの見極めはかなり難しいといえます。先ほどから紹介している、高知城歴史博物館でやったことは、当初、周囲の人が「見たことがないしできない」と言ったことが多いのです。
 新しい素材の使い方や開発は、今までの常識の向こう側にあることが多い。「常識と非常識の合間にある創造性」を、利や常識で潰していることが多いのではないでしょうか。利益をとって非常識をつぶしてしまうと、可能性までつぶれることになります。
 これも博物館のほうですが、高知の県議会で「ぜひ土佐ヒノキを使ってほしい」と言われてつくった壁です。ランダムに見えるようなパターンをつくり、光できらきらと輝く太平洋の波を表現しました(図6)。地元の職人の方々はこの土佐ヒノキを現場で1個ずつ積み上げました。ユニットで運んでくれば早いのに、職人たちは「手を抜きたくない」と、わざわざ膨大な時間がかかる方法を選んだのです。
 素材からつくるときには問題が起こります。その際に問題を問題だと言っていても前には進めず、八方塞がりになるだけです。実は、「問題だ」と言っている人自身が問題なことが多く、現場でもよくあります。あまりに真剣に井の中の蛙状態で一人思い悩む人は、井戸から一生出てこられないでしょう。それを井戸から引き上げるのは、全く違う土俵から出てくる創造力です。
 よって、材料特性の可能性は意外と身近なところに転がっているのかもしれません。創造することは素材の可能性を拡げ続けてゆくことであって、研究のための研究とは別物です。今の日本は研究に研究を重ねて素材をつくろうとしていますが、それだけではないということです。
 次に、素材の組み合わせ方です。一つの素材メーカーでは埒が明かないが、他の素材メーカーと組み合わせることによって道が開けることもあります。
 岡田茂吉記念館のこの空間。鉄板は金物メーカーでも鉄骨メーカーでもコストが高く、諦めかけていたところ、酒の席で偶然知り合ったPCの型枠メーカーのおかげで実現したものです。6〜7mもある鉄板を難なく曲げる技術があるわけで、何と半分以下のコストでできました。そのような素材ができたからこそ、元から生えていた紅葉を一本も切ることなく、既存の樹木を活かしたこの空間ができたわけです(図7)。こんな空間は日本全国探してもないでしょう。つまり世界を探してもないということです。創造力から生まれているからです。
 仮に建築家が創造することを諦めたとき、またはその力量に陰りがある場合、国の文化は衰退の一途をたどるでしょう。なぜなら、自らの保身に偏る人たちからは創造性が欠如するからです。創造性による素材開発は攻めることからしか生まれないのです。逃げたらできません。建築材料と建築設計の相関性はまさにこのようなところにあるのではないでしょうか。従って、私の所属する日本建築家協会と、日本建築材料協会は一層つながりを深めるべきだと私は思っています。
 

建築物の概要紹介
 2014年竣工の岡田茂吉記念館。先ほど紹介した、3.2mmの鉄板を使った屋根を持つ建物です。紅葉や山桜の古木など既存の樹木を残し、広沢池への眺望を活かして、「自然美から心の美を発見する」という宗教的意味合いを体現するような建築にしてほしいとの要望がありました。この屋根構造は、合掌から生まれました。軽く強靭なだけでなく、究極のコストマネジメントが可能となりました(図8)。 
 高知城歴史博物館は2016年竣工です。高知城の目の前で、歴史と伝統を感じさせる建築が求められました。将来起こるかもしれない東南海地震を念頭に、歴史遺産を自然の脅威から守る宝船として実現したものです。菱形、土佐ヒノキ、クジラ、カツオ、海……などをイメージする中で、このような形になりました(図9)。
 
 
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