2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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講演会の予定・講演録
明治7年に竣工した旧大阪府庁舎の基礎に見られた石灰コンクリート

一般財団法人 日本建築総合試験所
試験研究センター材料部材料試験室
専門役(兼)主査(博士(工学)) 
吉田 夏樹 氏

ある技術者の相談から始まった石灰コンクリートの分析
 私がこの分析に携わったのは、2011(平成23)年9月に、長谷工コーポレーションの現場で技術顧問(当時)をやられていた高嶋三郎さんから石灰コンクリートの分析について相談されたことがきっかけでした。高嶋さんは、産業遺産にも興味を持たれている大変熱心な方でした。
 高嶋さんの一つの業績を紹介します。北浜の旧三越大阪店(191(7 大正6)年竣工)は、阪神大震災(199(5 平成7)年)の影響を大きく受けたのち、2003(平成15)年くらいまでは店舗を縮小して営業していましたが、2005(平成17)年に閉店、解体工事が行われました。そのとき、地下の柱や基礎に、鉄道レールを用いたコンクリートが見つかりました。鉄筋の変わりにレールを使っていたわけです。
 調べていくと、日本で鉄道が開通した当初に使われていたレールであることが分かりました。例えば、イギリスで1870(明治3)年につくられた「幻の双頭レール」や、八幡製鉄所の創業当初につくられたレールなどが出土しました。これらは鉄道博物館や八幡製鉄所の博物館、大学などに無償で提供されたようです。さらには金物で有名な兵庫県の三木市にも寄贈されました。今頃は鉋や包丁になっているかもしれません。当時、新聞に掲載されたり、大学の基礎や古レールの研究者が来たりしてかなり話題になったようです。
 その高嶋さんが係わった阿波座の現場で、旧大阪府庁舎(1874(明治7)年竣工、図1)の基礎の発掘調査が行われたのですが、その基礎で見つかったのが「石灰コンクリート」と呼ばれる材料でした。「一体これは何だ」となったわけです。高嶋さんに化学分析の相談を受けたとき、セメント部分が石灰材料で作られたコンクリートだろうことは容易に想像がついたのですが、石灰モルタルなら知っているが、石灰コンクリートは聞いたことがありませんでした。そこで、私自身の興味もあって、分析を引き受けることにしました(長谷工コーポレーションからの依頼で試験を実施)。
 本日は、当法人の機関誌「GBRC(Vol.37、No.4、2012)」2)に執筆した同タイトルの記事をもとにお話しします。石灰コンクリートの分析事例だけではなく、大阪府の歴史や、石灰材料からセメントが誕生した歴史についてもご紹介したいと思います。旧大阪府庁舎の歴史について 旧大阪府庁舎の歴史からご紹介します。初代大阪府庁舎は1868(慶応4/明治元)年、西町奉行所がそのまま用いられました。その後すぐに現在の阿波座辺り、江之子島に新築移転し、これが2代目となります。今回「旧大阪府庁舎」と呼んでいる建物はこの2代目の庁舎です。
 1874(明治7)年に竣工、1916(大正5)年に増改築され、1926(大正15)年に現在の庁舎に移転するまでの約50年間、大阪府の行政を支えました。旧大阪府庁舎は1929(昭和4)年に改装され、大阪府工業奨励館として使用されましたが、1945(昭和20)年に大阪大空襲で、基礎を残して焼失してしまいました。戦後、その地に産業技術総合研究所が建設されましたが、1996(平成8)年に閉館(和泉市に移転)。その後に土壌汚染が問題となった際の調査時に、旧大阪府庁舎の基礎が埋まっていることが発見されました。2011(平成23)年にはマンション建設のプロジェクトに伴い、大阪府文化財センターによって発掘調査が行われることになりました。
 旧大阪府庁舎の竣工当時、西洋建築は全国の庁舎では非常に異例でした。レンガ造の2階建てで建築面積は延べ830坪。庁舎のあった江之子島は当時川に囲まれていました。威厳漂う外観からか、当時の府民には「江之子島政府」と呼ばれていたようです。
発掘調査で見つかった石灰コンクリート
 石灰コンクリートは、明治期に建てられた「中央棟」の基礎から発見されました(図2)。石灰コンクリートの厚さは約80cmで、5層に分けて打設されており、層間には礫層や炭の層もありました。その上に御影石の礎石が並べられていました。
 このような石灰コンクリートからコアが採取され、私のところに運ばれてきました。搬入されたコアを見ると、粗骨材や細骨材が確認でき、コンクリートと呼べる外観をしておりました。本日は、サンプルを持って来たので回覧します。

石灰コンクリートの試験
1)試験方法
 試験方法について、マクロからミクロな視点まで、全体の特徴を記録できるように心がけ、以下の9項目を計画しました(図3)。(1)材料強度を確認するための「圧縮強度試験」。(2)練り混ぜに海水を用いていないか調べるための「塩化物含有量試験」。(3)外観の特徴を記録するための「目視観察・実体顕微鏡観察」。(4)「粗骨材(大きい石)の構成比」。さらに細かく、細骨材や結合材にどんな鉱物や元素で構成されているかを調べるための、(5) 「偏光顕微鏡観察」、(6) 「粉末X線回折」、(7)「蛍光X線分析」、(8)「電子線マイクロアナライザ」、(9) 「石灰と骨材の構成割合の推定」。

2)試験結果
 「圧縮強度」は、目視観察でおよそ強度が異なるであろう3種類の代表試料を選びました。見た目がもろそうなものは0.5N/mm2、最も固まっているもので8.5N/mm2程度でした。最も固まっているコアは正面玄関の土間から抜いたもので、入念に締め固められたようでした。
 コアの断面を切り、写真を撮りました。真っ黒に見える粗骨材は石炭です。茶色の粗骨材はレンガ片でした。今のコンクリートで石炭やレンガ片は使われません。なお、西アジアなどではレンガ片がコンクリートに使われているようです。
 「偏光顕微鏡観察」では、試料をガラスに貼り付け、0.03mm程度までに薄く研磨して観察すると、結晶物がはっきり見えます。「粉末X線回折」は、一度試料を粉末状にしてホルダーに詰め、X線を照射します。すると試料に含まれる結晶物によりX線の回折現象が起こります。回折する角度は結晶物によって固有であるため、どのような化合物が分析試料に入っているか分かるわけです。「蛍光X線分析」は、X線が試料に当たると元素から固有の波長を持った特性X線が出てきます。そのX線を分光することで、どんな元素が何%含まれているかを分析することができます。
 偏光顕微鏡で見た石炭は結晶物を多く含んでおり、「亜炭」と言える品質であると分かりました。レンガ片にはガラス状の物質が含まれていました。泥岩を観察すると、変質・風化が見られました。粉末X線回折法により、カオリナイトなどの粘土鉱物が見つかりました。
 続いて、細骨材と結合材を分析した結果です。実体顕微鏡で観察すると、石炭やレンガ片の大変細かい粒子が含まれていました。さらに偏光顕微鏡で観察すると、細かい石英や雲母が含まれていることも分かりました。
 結合材を分析するため、電子線マイクロアナライザを用いました。マグネシウム、アルミニウム、ケイ素、硫黄、カルシウム、鉄の分析結果です。結合材は石灰、つまりカルシウムが主体だと思っていましたが、確かに多いものの(CaO:32.4%)、アルミニウム(Al2O3:19.6%)やケイ素(SiO2:44.9%)もかなりの量を含んでいることが分かりました(図4、図5)。ただし、一般的なセメントとは、化学成分の構成比が全く異なります。恐らくは、レンガや風化した砂岩・泥岩などに含まれるケイ素やアルミニウムの成分と、石灰が化学反応を起こして生成されたのではないかと想像できました(図6)。
 その他の分析結果として、塩化物含有量は0.29kg/㎥で、低いものでした。石灰コンクリートの単位容積質量は、固いもので1,360kg/㎥、脆いもので1,200 kg/㎥でした。現代のコンクリートは2,200〜2,300kg/㎥くらいが平均的なので、それに比べるとかなり軽いことが分かります。骨材と生石灰の体積比は約6.5〜8.5:1でした。石灰コンクリートとは何なのか まずは、現在のセメントがどのように製造されているのか、説明します。大まかな説明ですが、セメントは「石灰石」(カルシウム源)と「粘土」(ケイ素とアルミニウム源)を原料に、それらを混合して粉砕し、次に1,450℃くらいで焼成してできたセメントクリンカーというものに石膏を混ぜ、粉砕してセメントに仕上げるという工程でつくられます。
 焼成してできたクリンカーは、カルシウムとケイ素、あるいはカルシウムとアルミニウムが結合した鉱物で出来ています。これに水を加えると、鉱物と化学反応(水和反応)し、カルシウムとケイ素と水が結合した水和物、カルシウムとアルミニウムと水が結合した水和物などができます。セメントは、水と反応して固まる「水硬性」の材料です。
 このセメントが開発されるに至った歴史は、石灰を用いた材料の歴史から紐解くことができます。原始、火を使い始めた頃から石灰材料は使われていたと思われます。石灰石や貝殻などを火で燃やすと、生石灰(CaO)になります。生石灰に水を加えると消石灰(水酸化カルシウム)になります。消石灰は空気中である程度固まる「気硬性」の材料です。
ローマ時代の技術者たちにより発展した石灰材料
 「気硬性」である石灰材料に改良を加えたのがローマ時代の技術者たちです。彼らは、ナポリの近郊にあるヴェスヴィオ火山の火山活動で生まれた火山灰を石灰材料に混合しました。
 すると、火山灰のガラス中にあるケイ素やアルミニウムが、水と石灰と化学反応を起こして硬化します。まさにセメントと同じ「水硬性」の材料です。476年にローマ帝国が滅亡した際、一度、水硬性材料の技術は失われたと考えられています。それから千年近く経て、古代ローマ時代の建築家・ウィトルウィウスの建築書が見つかり、再び水硬性材料の研究が進んだと考えられています。
 その研究を進めるうちに、「石灰石」に「粘土」が不純物として含まれたものを焼成すると、水硬性を持つことが分かってきました。「石灰石」と「粘土」。まさに、現代のセメントの原料です。最初にセメントの原型を作ったのはジョン・スミートン(英)です(1756年)。その約70年後、ジョゼフ・アスプディン(英)が「ポルトランドセメント」という名称で特許を取得しております。
 
地盤改良に石灰コンクリートが使われた?

 レンガや石を積み上げる組積造が主体のヨーロッパでは、石灰やセメントを用い、砂を混ぜたモルタルや、砂利を混ぜたコンクリートの技術が発展しました。
 一方、木造が主体の日本では、独自の石灰材料が発展しました。例えば漆喰は、石灰に海藻からとったのりとスサ(麻や藁などの繊維)を混ぜたものです。その日本にコンクリートやモルタルなどの西洋の技術が入ったのは明治以降です。
 明治時代の教科書を読むと、「石灰コンクリート」の記述が見つかりました。例えば、ジョサイア・コンドル(英、工部大学校造家学科(現東京大学工学部建築学科)教師)の著した『造家必携』には、石灰コンクリートとは石灰に石などを混ぜたものであると書かれています。用途は「基礎の築造に有用」と明確に記され、地盤改良材に近かったものと思われます。
 川に囲まれた江之子島地区は、庁舎を建てるために緩い地盤を改良する必要があり、石灰コンクリートが使用されたのではないかと推察されました。旧大阪府庁舎の建築には、やはり外国人の力が大きかったのではないかと思われます(図7)。

石灰コンクリートは古代の知恵
 『造家必携』に記されている石灰コンクリートの調合と、今回の分析結果を照合すると、調合条件は非常に似通っていました。
 明治以降にセメントやモルタル、コンクリートの技術が日本に導入されましたが、セメント自体が広く使われ始めるのが1887(明治20)年以降と考えると、石灰材料がコンクリートに利用された期間は非常に短く、旧大阪府庁は1874(明治7)年に完成しているので、今回分析した石灰コンクリートは、日本では最古クラスだったものと考えられます。
 本日のお話をまとめます。旧大阪府庁舎は1874(明治7)年、江之子島で竣工しました。庁舎の基礎に石灰コンクリートと呼ばれる材料が見つかります。骨材には亜炭、レンガ片、砂岩、泥岩が使われ、結合材にはセメントではなく石灰が使用されていました。石灰コンクリートという名称やそれに関する記述は明治時代の教科書に多数認めることができました。
 気硬性の材料だった石灰材料に水硬性を付与する研究が継続され、その結果、現在のセメントが開発されました。石灰コンクリートは古代からの知恵が詰まった材料で、セメントが普及するまでのわずかな期間に利用されました。旧大阪府庁舎の石灰コンクリートは、国内最古クラスと分かりました。
 
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